(訂正)初出で「教育音楽11月号」と記載しましたが、正しくは「教育音楽12月号」の誤りです。
小学校の部の審査といえば、
昭和の時代から「子どもらしさ」で
議論になることが多々あったようですが、
現在のコンクールでも議論になっていることが
今年の総評から垣間見れます。
「教育音楽」(音楽之友社、12月号)から
一部要約してまとめてみます。
全部門の総評と各校への講評が掲載されています。
正確な全体の内容は「教育音楽」をご覧ください。
- 審査側の「子どもらしさ」への希望的観測と、参加側の向上心・探究心とのすれ違いがある。
- 難曲な曲に挑んだ学校に「見事」と感嘆する審査員もいれば、「なぜこんな難曲を歌わせるのか」と批判する審査員もいる。
- 「素直だけでは全国までコマを進めない」と諭す審査員もいれば、「課題曲で不自然な工夫が多すぎて残念だ」という審査員もおり、「工夫で他校を退けてこの場にいる」という審査員もいる有り様だった。
- 子どもらしさを失わずに、最大限の力を発揮した金賞校はある意味、「中道をゆく演奏」とも言えなくない。
相反する両者の意見がどちらもよくわかります。
「審査員が変われば結果もガラリと変わる」
と言われる状況が生まれるのも納得です。
ちなみに金賞校には多くの審査員が最上位をつけたそうです。
中学校の部でも昨今、難曲志向に注文がついていましたが、
今年の総評では
「“挑戦する姿勢の強調”のような演奏や選曲は少なかった」
と評されています。
ちなみに昭和62年全国大会小学校の部終了後にも
同様の議論がなされたと言われています。
- 「子どもらしい発声であるべきだ」という審査員対し、「そういう枠は限定しにくい」という審査員がいた。
- 「子どもの発達段階にあった選曲を」という審査員に対し、「あらゆる可能性を引き出すべきだ」という審査員もいた。
過去のある作曲家の審査員がこうおっしゃってました。
自分の曲を、正確な音程と表現で歌ってくれる演奏と、
子どもらしく、めいっぱいに歌ってくれる演奏、
どちらを評価すべきなのか私にはわからない。
とても印象的で、考えさせられました。
実際のコンクールでもこう感じることがあります。
昭和56年の課題曲作曲の小林亜星さんもコンクール後に
「もっと地声発声でも良かったのではないか?」
「もっとノった感じが良かった」とコメントされてます。
昭和57年の課題曲作曲の坂田晃さんも、
Nコン終了後にコメントを残しています。
- コンクールが子ども不在になっている。
- 子どもらしさのある演奏は少数派で、そういう演奏は全国に残れない。
- 不自然な歌わせ方が多い反面、基本がなおざりになっている。
- コンクールが目的であってはならない。
- 大人びた発声が良いという審査員がいて驚いた。
この問題に関して明確な答えは出せないと思いますが、
今年の総評の最後にはこのようにも述べられています。
- 金賞校は自分たちの技術で演奏可能な曲を多くの楽曲から選び、正しい音程とリズム、センスの良いエッセンスを加えて演奏し、涼風のような演奏をやってのけた。
- 審査員は皆違う感性を持っており、演奏会ではなくコンクールという場では、凄い演奏・見事な演奏以上にバランスの良い演奏こそを目指すべきではないかと感じた。それこそが「真の意味で合唱文化を育むコンクール」だ。



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